花筏
まるで抗えない風雪のようだと、ウィンターと同じ戦場に立った人は口を揃えて言う。
斬り結んだ相手は次の瞬間に死角からの一閃に浴び、間合いを取れば詰められる。戦場そのものを支配するために生まれてきたと言われても納得するほど、ウィンターという人物は戦神に愛されていた。
「報告を」
あちこちで倒れ伏す盗賊たちと散らばる武器の真ん中、まだ剣を手にしたままのウィンターは近くを通りがかった兵士に視線を送る。何かを抑え込むような溜め息混じりに言葉をこぼすと、兵士は弾かれたように背筋を伸ばしてウィンターへ向き直った。
「賊は順次捕縛、移送の術式準備がじきに終わります」
「了解。くれぐれも移送術者の周りは警戒態勢を厳とするように」
「承知しました、隊長」
まだ任務が終わっていないとはいえ、兵士は異様に落ち着きのない様子で目線をそわそわと動かしてウィンターの次の言葉を待っている。まるで斬りかかろうとしてくる賊を目の前にしているような、ひりついた緊張感。
「村の被害状況は?」
「確認中ですが、今のところ怪我人はいません」
「……分かった。念の為、私も村の様子を見てくる。残党がいたら大変だ」
ついさっきまで盗賊に襲われていた村に目を遣りながら、ウィンターは剣を鞘に納める。何か予感がするのか、ただ心配が発露しているのか。作戦行動中も宿で休んでいる時も変わらない眼差しの温度から、兵士はその真意を推し量ることが出来なかった。
「そんな、見回りなら私が……!」
「いいや、君は私より現場指揮に長けている。だから、ここを任せる」
やっと眼尻を和らげて見せたウィンターの言葉に必死で引き留めようとしていた兵士の動きが止まり、ややあってから教科書のような敬礼を見せる。
「……承知しました!」
兵士に見送られて、ウィンターはいくらかやわらかさを取り戻した頬で笑みを見せて住民たちが避難している村の外れへ足を向けた。
この国境沿いの村は麦が主産業らしく、獅子の鬣のような金色の麦穂が風にそよいでいる。畑の合間に民家があるようなのどかな風景は王都から離れた場所によく見られる、しかし人の多い土地にはない暮らしの息遣いが感じられてウィンターは好ましく思っていた。
だが、絵画を眺めるように遠くまで風景を見通していたウィンターは無意識に携えた剣の柄を握る。その穏やかな風景の中にはぽつりぽつりと戦闘の、それも今回のものだけではない痕が残っていた。何度となく訪れる戦禍に晒される住人たちは、それでもこの金色の海と共に生きることを選んでいる。その意味をウィンターは分かっていた。
「誰か!」
悲痛な叫び声。
ウィンターは声を認識すると同時に走り出す。恐らく村の住人だろう男がウィンターの向かう方から駆けてきた。軍装を認めた男は強張った表情に少し安堵の色を混ぜ、体当たりする勢いで走り込んできたその人をウィンターは受け止める。肩で息をして話そうにも喘ぐばかりの男の視線を辿り、そして腕を掴む力強さを以てウィンターは事態を把握した。別働隊、あるいは隠れていた賊が尻尾を出したらしい。
「よく知らせてくれました。私が向かいます」
「はぁっ……娘が! みんなが……!」
「必ず助けます」
静かに語りかけるウィンターはこくこくと必死に頷く男の背を擦りながら座らせ、念の為に携行していた報煙弾を地面に叩きつけてから投げて空で炸裂させた。やっと呼吸が落ち着いてきた男も派手な音と共に空に昇っていく一筋の白い煙を見て、やっと落ち着きを見せ始めている。
「あなたはここで待機してください、じきに兵が来ます」
「お願いします……どうか……!」
視界の端に煙を見て駆けつけてきた兵士の影を捉えたウィンターは彼らにも見えるように男に向かって大きく頷いてから、村の外縁へと急ぐ。
ウィンターたちが大立ち回りを演じた村の広場とは異なり、外縁へ向かうにつれて最低限の倉庫の他は麦畑しか見えなくなる。手っ取り早く略奪をするため、賊は収穫後の食糧が収められた貯蔵庫を狙いがちだ。だからこそ、暴力の手から住民たちを隠すため、彼らの命に等しい金色の海の中に逃したが、雑に刈り取られた麦を見てそれが裏目に出てしまったことをウィンターは悟った。
人の動く気配がする。
丁度倉庫の影に入り込んだウィンターは鯉口を切って、そっと様子を窺う。何かを喚く声、悲鳴と子どもの泣き声が入り混じって恐慌状態になりつつある。人だかりに紛れ込んで突破出来るか、とウィンターが算段していると粗暴な男の声が確かに影に潜んでいるウィンター目掛けて飛んできた。
「おい、隠れても無駄だぞ。とっくにバレてんだよ」
明らかに自身へ投げられた挑発だと認識したウィンターはあっさりと影から身を現す。剣にかけていた手は頭上に上げ、何も隠していないことを知らせていた。
「何が望みだ。仲間の解放か」
「はぁ? 俺に仲間なんかいねぇよ。さっさと馬を用意しろ、それと食糧と武器もだ」
「じきに兵士たちがここを取り囲む。大人しく投降しろ」
「あんたさぁ、これが見えてねぇの?」
ニタニタ下卑た笑いを浮かべる賊は自身の影から塊を引っ張り上げてくる。小さな悲鳴と一緒に姿を現したのは、涙で顔を濡らした少女だった。
「アリー!」
賊が少女を自身の近くへ引っ張り込んだ瞬間、人だかりの後ろから悲鳴が上がる。さっきウィンターに急を報せた少女の父親と小隊の兵士たちが到着したということだ。その予測通り、側近の兵士がウィンターの横へ駆け込んでくる。目配せ一つで側近は柄にかけていた手をゆるりと外し、ウィンター同様賊に視線を注ぎ始めた。
「畜生に落ちるつもりか」
「元々人として扱わなかったのはお前たちだろうが」
「……逃げても何も変わらない、まして人質を連れてなんて」
「どの道どうしようもないんだよ。早くしろ、俺は気が短い」
賊は手に持った華美な装飾が目立つ剣の鞘で賊の腕の中、動けない少女の頬を軽く叩いた。しとど降りしきる雨の中を駆け抜けたように、泣きじゃくる少女の涙が鞘を濡らす。倉庫の周りを囲うように、そして麦畑がさざめくように増えた人の気配がウィンターに次の言葉を求めていた。
ウィンターは一つ、二つ、ゆっくりと目ばたきをしてじっと賊を見据える。
「……馬を用意、兵糧も分けてやれ。後方へはウィンターの名を出せばいい」
「……承知しました、ウィンター殿」
隣りに控えていた側近には目もくれず、短い言葉で発せられた指示の通り、側近は待機している後方の人員に合図を送る。その間、なおもウィンターは賊を見つめていた。獲物を狙う鳥のような眼差しは何か気づいた様子の賊の視線と交わる。
「ウィンター……? あんた、もしかして英雄とか呼ばれてる奴?」
「貴様! ウィンター殿に無礼だぞ!」
剣に手をかけて今にも抜きそうな剣幕で側近が吠える。それを手でいなすウィンターは部下を安心させるためか、ほのかに笑みを見せていた。
その様子に賊もゲラゲラと笑って上機嫌を隠そうともしない。
「そりゃあいい。あんた、このガキと交換だ。武器を捨ててこっちに来い」
「貴様、何を!?」
「田舎の小娘より、『英雄』の方が値がつくだろう? ほら、あんたらの好きな自己犠牲で人助けが出来るぜ?」
無言のままウィンターは鯉口を切ったまま手をかけていた剣を封じ、地面に投げ捨てる。ガラン、と大きな音が鐘の音のように響き、ますます賊の笑みが深まった。
「良い子だ……さっさと来い。ああ、上着も脱げよ。どうせいろいろ仕込んでるんだろ」
白い軍服を脱ぎ落としたウィンターに賊はニマリと厭らしい笑みを浮かべて、自分で近づいてくるようにと顎をしゃくる。抵抗することなく素直に賊へにじり寄るウィンターの表情は、賊とは対照的に何も読み取れない凪いだ水面のようだった。
「手は頭の上だ、そのまましゃがんでろ。おい、馬はどうした!」
苛立つまま賊は少女を思いきり突き飛ばし、そのままウィンターの腕を引っ張って無理矢理跪かせる。賊にとって上手く回り始めた世界に興奮しているのか、息荒く騒ぐ者に一瞬息を詰めて鋭く吸い込む音は聞こえなかった。次の呼吸は薄く、薄く、さながら蛇の囁きだ。
光、熱、豊穣の加護。
口の中でまだ慣れない古い詞を唱えたウィンターが胸元にじわりとした熱を感じた瞬間、辺り一面に目を焼くほどの光が溢れた。
「うわっ!?」
賊が驚き、目を掻きむしる。その瞬間をウィンターは見逃さなかった。
立ち上がる勢いを乗せる。踏み締めた地面がじり、と鳴った。思いきり拳を振り抜く。光に目を潰された賊が避けられるはずもなく、ウィンターの拳が真正面から入った賊はあえなく吹き飛んでいく。
突き飛ばされてうずくまっている少女を助け起こしてかは、ウィンターは少し遠くで転がっている賊の上にのしかかり身柄を拘束した。この期に及んでもなおジタバタと暴れる賊を押さえつけながら、ウィンターは溜め息をつく。
「往生際が悪い。お前も王都に移送する、諦めろ」
「クソ!! 英雄は魔術が使えないんじゃなかったのかよ!?」
「よく調べているな。お前の言う通り、私は魔道の才がない」
「ウィンター殿、お怪我は」
何の合図もなく魔術――光をもたらす初歩的な魔術、閃光術だ――を使ったせいで巻き添えを食った側近と兵士たちがまだ目をしょぼしょぼと細めながらも駆け寄ってきた。
「ありがとう、大丈夫。それに、もう『隊長』でいい」
「承知しました、隊長」
二人揃って悪戯が上手くいった子どものような笑みを見せ、ウィンターは戦場に在って誰より目立つ白い外套を受け取る。さらに集まってきた兵士に自身の下に敷いていた賊を引き渡して外套に袖を通す間も、ウィンターが自身の部下たちに引き継ぐ間も賊はずっと何かしら悪態を吐き続けていた。
「悪かった、何も相談せず魔術を」
「いえ、人質の救助と賊の確保が最優先ですから」
身仕度を整えたウィンターへ側近が剣を手渡す。地面に投げ捨てられたが特に汚れも損傷も見えず、ウィンターは安心して腰に愛剣を挿した。
「しかし、我々も驚きました。いつの間に閃光術を?」
「ああ、実は呪符をもらって使ってみただけなんだ。どういう仕組みかは分からないけれど、呪符があれば私にも魔術が扱えるらしい」
外套の上から丁度胸のあたりを示しながら、ポケットから白い札を数枚取り出す。ウィンターが短く詞を唱えると、今度は光る代わりに札たちの表面にそれぞれ異なる文字が浮かび上がってきた。ウィンター曰く、『光』『風』『火』など綴られた古い文字と発した詞に対応した呪符として機能するようだ。
「それは……なんと……魔術士に剣、ですね」
「うーん……私の場合は剣も半端だし、魔術は実力じゃないから……」
「ご謙遜を」
呪符をポケットに仕舞いながら、ウィンターは改めて周りを見回す。無事を喜ぶ者やまだ不安げな人、それに寄り添う住民、戦闘の後始末を急ぐ兵士たち、その誰もに色濃い疲労が見て取れた。実際に予定していた作戦行動時間を大幅に過ぎて、空には橙色の光が混ざり始めている。
「今夜はここで野営をしよう。本部には伝令を出しておく」
「承知しました。では、準備を」
「あの……」
ウィンターの決定に喜色を滲ませた側近の兵士が小隊の仲間へ知らせようとその場を去ろうとするが、それを一人の男が呼び止めた。何事かあったのかと次の言葉を待つ二人が男に向き直ると、その人はおずおずと語り出す。
カリカリとペン先が目の粗い紙の上を引っ掻く音は、ウィンターが宿屋の部屋にいても、たとえ野宿の最中であっても懐かしい陽射しの思い出を連れてくる。教わった当時よりも随分と慣れた様子でウィンターは言葉を綴り、報告書を書き進めていた。
村の住人たちの好意でウィンター小隊は村の空き家で一夜を明かすことになり、今は――固辞したが夕飯を共にするだけだと押し切られ――小隊の面々と村人たちとで宴が催されている。数年前まで宿屋として使われて空き家はかなりの部屋数があり、ウィンターには二階の部屋が割り当てられた。部屋の階下からは食事を楽しむ賑やかな声が聞こえてくる。ふ、と吐息がカップから立ち昇る湯気を揺らした。あと少しでまとまる資料を眺め、ぐっと伸びをしているとコンコンと控えめなノックが鳴る。扉の向こうからコソコソと話し声も聞こえてくるが、小隊の兵士たちではないようだ。
「お疲れのところ申し訳ありません、ウィンター様」
声にも心当たりがないウィンターは首をひねりながら、手元の明かりに使っていたランプを持って数歩の距離だけ離れた扉を開く。そこには昼間の騒動で娘を助けるために駆け回っていた男と人質の娘がいた。
「あなたは……」
「はい、フラウと申します。娘を助けていただきありがとうございました」
「いえ。あなたも、お子さんもご無事でよかった」
「本当に、どう感謝を伝えれば良いのか……!」
礼の言葉を何度も繰り返し頭を下げるフラウにウィンターは眉を下げて止めつつ、なんとか用向きを聞こうと肩に手を置いて落ち着かせようとする。
「それで、どうして宴の途中に?」
「ああ、そうだった。この子がどうしてもウィンター様にお礼をしたいと言って」
それを聞いて、大人たちが話している間、静かに待っていた少女に目線を合わせるようにしてウィンターは片膝をついてしゃがむ。床に置いたランプの光を受けた麦のような金色の瞳が緊張と好奇心でキラキラと輝いていて、ウィンターは思わず頬を綻ばせた。
「マール、ほら」
「あの……これ……」
マールが背中にもじもじと隠していた手がおずおずとウィンターの目の前に差し出される。まだ小さな子どもの手には白い花が数本握り締められていた。
「……花? くれるのですか?」
言葉の代わりにこくこくと首肯で応えたマールと様子を見守るフラウを交互に見て、ウィンターは差し出された小さな手から白い花を一本だけそっと受け取った。顔にかかる伸ばしっぱなしの髪を邪魔にならないよう耳にかけ花を香ってみる。さわやかな花に混じる野と土の匂いは、ウィンターに花の見頃に散策した王宮の庭と止まり木の温度を思い出させた。
「ありがとう、とても嬉しいです」
きれいな花とそこに込められた想いへ、そしてなにより王都から遠く離れた地であっても共に在ることを思い出させてくれた少女へウィンターは心からの礼を述べる。
「あのね、ピカって光る魔法がすごくきれいだったから同じお花なの」
「本当だ、魔法の色と同じ。すごいな」
きっと伝わったのだろう、安心した様子で表情をゆるませたマールは先ほどまでより幾分か言葉を多く伝えてくれた。確かに白い花はウィンターが使った呪符が発した光の色に似ている。命の危機だったのによく見ていたな、とウィンターは感心しながらマールの手渡してくれた花を眺めた。観察するうちに、しゃんとした佇まいがますます王都で忙しなく働いている史官殿の背中に見えてくる。ウィンターは頬のゆるみがバレないようにもう一度花を香った。
「魔道は、と仰っていましたが……何か特別な魔術なのですか?」
娘の礼を受け取ってもらえて安心したフラウもウィンターへ問いを投げかける。親子揃って緊迫した状況で周囲をよく見ていることにウィンターは少し驚きながら、言葉を選びつつ問いへ答えた。
「詳しいことは話せないのですが……友人に持たせてもらった魔術道具を使いました」
「はあ、道具……王都はどんどん新しい技術が出てきますね」
「ええ、優秀な研究者たちのお陰で私のような門外漢は追いかけるだけで精一杯です。頭が下がりますよ、本当に」
この世界の魔法と相性が悪い我が身を門外漢と評したことにウィンターは自分で納得する。それでも癖で今日の寝床の枕元に置いてしまった魔術の入門書を思い出し、肩を竦めて見せた。
大人たちの会話を眺めていたマールがふとウィンターの外套の裾をちょいちょいと引っ張る。
「ねぇ、その人って大切な人?」
マールの問いに対して、ウィンターの脳裏には呪符を開発した研究者たちの顔、そして呪符を手渡してくれた心配げな人を思い出した。
「……そうですね。大切な人、だな……」
花を持ったウィンターの指先が分厚い外套の胸にふれる。胸ポケットに仕舞い込んだ呪符から、自身とは違う戦場を駆けている王都の研究者たちに手渡された信頼の温度を感じるように。
「じゃあ、その人にもお花あげる。ありがとうって」
ウィンターの答えにぱっと表情を明るくしたマールがずい、と花をまた差し出す。ウィンターは嬉しそうにしながらも、しかし少し困ったように眉を下げてしまった。
「ありがとう、あの人もきっと喜ぶけれど……しばらく王都には戻らないんです。どうしようかな……」
王都、それも王宮に勤めている面々は仕事柄、特に市井の人々から直接仕事を褒められることがないとウィンターは常々後方支援部隊から聞かされていた。この花がきっと彼らの励みになることは分かっていたが、今のウィンターに元気なままの花を届ける術がない。
花を見つめて考え込んだウィンターと一緒にマールも考え始め、二人揃って頭を抱える。そこへフラウが何か思いついたように指を鳴らした。
「ウィンター様、マール。良い考えがあります」
きょとん、と首を傾げるウィンターとマールにフラウはにこやかに微笑んでみせる。そしてマールの手から一本花を引き取って、手と手の間に挟むようにしてみせた。
「押し花にするんですよ。生花だと心許ないですが、お手紙に付けて送れば王都まで何とか保つでしょう」
「押し花……押し花かぁ」
ウィンターに限らず、王都を離れて任務にあたる軍人は報告書を送る時、残してきた家族や旧知の者への私用の手紙を合わせて送ることが習慣化している。あくまで報告書のついでであり、手紙が主でないことから贈り物を同送するという発想はウィンターにもなかった。
「ねえ、一緒に作ろうよ」
心が傾きかけているウィンターにマールが目を爛々とさせて誘いかける。嬉しいと反射的に答えかけたウィンターはちらりとフラウを窺うと、視線に気づいた彼は一層笑みを深くして小さく頷いてみせた。
ほっと安心したウィンターは改めてマールに向き直り、胸に片手を当てて礼の姿勢を取る。
「マール、ありがとうございます。是非お願いしてもいいですか?」
「うん!」
「では道具を用意しましょう。マール、ウィンター様に便箋をご用意して」
「はぁい」
元気に部屋を飛び出していくマールを追って、フラウ自身も言った通りに道具を取りに向かおうとした。立ち上がりながら二人の背中を眺めていたウィンターの脳裏にふと金色の波がよみがえる。
「あの、フラウさん。一つだけお願いが……」
「何でしょう?」
さっきまでの風のない平原のような声音が少しゆらぐ。恥ずかしげにシャツの袖口をいじりながら、ウィンターは窓の外に目を遣った。
「もし良かったら、麦穂も押し花に出来ないでしょうか」
「麦ですか? ええ、勿論です」
「ありがとうございます、きっと王都の人も喜ぶ」
命に等しい麦を分けることを快諾したフラウへウィンターは深く頭を下げる。フラウに促されて顔を上げたウィンターの表情には少女や村の住民たちに向ける安心を与えるためのものにはない、目尻がじわりと赤く染まる笑みにカッチリとした軍装からこぼれてきた年相応の人らしさが滲んでいた。
まだ拙い言葉では伝わらない遠方の地の土や風の匂い、ウィンターが見た風景。押し花に込めた想いは汲み取ってもらえるだろうかと準備のために部屋を辞していった親子の背中を見ながらウィンターは一瞬逡巡する。しかし自身に言葉と世界を教えてくれた知性を信じることにした。
いつもは報告書みたいだとからかわれるが、この手紙はそうは言わせないとウィンターは次に王都へ帰った時のことを想い、くつくつと笑いを押し込める。
国境沿いの村から王都まで手紙の配達には大体七日ほどかかるはずだ。きっと王都に着く頃に季節を切り取った押し花は完成していることだろう。