陽光の季節

太陽が息を吹き返した。

永遠にも思える長い夜の季節を超えると、王国は一年の内で一番あたたかい時期を迎える。静かに寒さを耐え忍んでいた人々は我先にと家を飛び出し、湯水のように溢れる陽光を一心に浴びていた。
「良い天気だ。あなたの言う通り、出てきて良かった」

ウィンターが頭上に右手をかざして空を見上げると、指の隙間からいつもより少し主張が強い木漏れ日が目に入る。眩しくて目を細めた拍子に少し躓いたウィンターが提げているバスケットの中身がガタリと音を立てた。隣りを歩いていたフレイが驚きながらも笑って鞄の取っ手をそうっと握る。二人もまた短い恵みの季節を満喫しようと、住まいの近くにある自然公園に弁当を持って繰り出していた。
「でも、体調は本当に大丈夫なのか?」

この時期にしかクローゼットから出てこない薄手のリネンシャツの裾を風に遊ばせることに夢中なフレイはウィンターの問いに応えるように、普段はしない袖まくりをして不敵に笑った。内勤故の生白い肌が燦々と注ぐ陽の光を浴びて、幾分か健康的に見える。
「徹夜くらい史官なら当たり前だから大丈夫。それを言うなら君も、今夜にはまた発つのに連れ出してしまって」
「それこそ全く問題ない。準備も終わっているから、日が沈むまでは……そうだ、沈まないんだったか」

はっとこの国の常識を思い出した様子のウィンターを見て、耐えきれなかった笑みがくつくつとフレイの喉から漏れ出す。

風が吹く度にざあざあと木の葉がさざめく音が小川で遊ぶ子どもたちの歓声と混ざって、公園は和やかながら賑やかな空気に満ちていた。
「あそこの木陰にしましょうか」

フレイは示しながらウィンターの腕を引いて芝生へ足を踏み入れる。既に日光浴を楽しんでいる先客に従って、少し離れたところに二人は敷物を敷いて荷物を降ろした。バスケットを挟んで腰を下ろした二人は一息、ゆっくりと深呼吸をしてお互い顔を見合わせる。
「陽射しが気持ち良い……ずっとこんな気候でいてくれたらいいのに」

勢いよく背中から寝転がって全身で陽を浴びるフレイを横目にウィンターは持ってきたバスケットを開き、カップと水筒を取り出す。水筒が傾けられると、湯気と一緒に香茶の香りとが立ち昇りカップが満たされていった。
「フレイは寒さが苦手だからな。でも、私はこの短さも嫌いじゃないな」
「……その心は?」

寝転がったまま頬杖をついて問うフレイの普段らしからぬ様子にウィンターは目を細める。
「短いから大事に出来るのかもしれない」

その言葉の真意をフレイは問うことはせず、差し出されたカップをただ受け取った。

子どもたちが小川のほとりを駆ける度に跳ねる水音を背景に、いつも通り息の合ったペースで二人の時間は過ぎていく。
「……どうした?」

あたたかい香茶で一息ついた二人が昼食に持参したサンドイッチを楽しんでいると、じっとフレイがウィンターを見つめる。視線は明らかにウィンターの手、サンドイッチに向けられていた。静かに、しかし雄弁に何かを訴えようとしている視線に耐えかねてウィンターは素直にフレイへ問いかけた。
「一口ちょうだい」
「スパイスは駄目だっただろう? 私の方には入っているが」

サンドイッチは今朝ウィンターが近所のパン屋で調達してきたものだ。 季節の野菜と干し肉を挟んだシンプルなものだが、他の店では味わえない特製ソースがフレイのお気に入りでよく通っているらしい。

何種類か用意されているものの中からフレイが一等好きなものと自身が食べたいものを選んだ結果、ウィンターの分はフレイが普段避けがちなスパイスの効いた辛味のあるものを選んでいた。ただ、野外での開放的な空気と少しの疲れがフレイの好奇心の背中を押しているせいでウィンターの忠告はフレイの耳には入らない。ウィンターを見つめるフレイはそわそわと浮き足立った様子で、待ちきれないと視線が語っていた。
「……仕方ないな。はい、どうぞ」

少し先の未来を予見しながらウィンターはフレイが食べやすいようにサンドイッチの包みを少し下げて差し出すと、弾けるような笑顔を見せたフレイは勢いよく一口かぶりついた。咀嚼を待つこと数秒、みるみるうちに上がり調子だったフレイの口角は真横に引き結ばれていく。遂にウィンターに差し出されたカップの中身を煽るまで一言も発しなかった。
「…………駄目でした」
「らしくないな。冒険心か?」
「今ならいけるかも、と思って……」
「また挑戦すれば良い」

ウィンターはカップにお代わりを注ぐフレイを横目にくつくつ笑って、残りのサンドイッチを口に放り込んだ。

サンドイッチと一緒に持参したデザートの果物――ウィンターが任地から送ってきた王国南部名産の木の実だ――も平らげ、二人は寝転がって空から注ぐ陽の光を受けながら公園でめいめい過ごしている人々を眺めていた。太陽がそうさせるのか、雪に吸い込まれることのない談笑の声があちこちから聞こえてくる。

一際賑やかなのは子どもたちで大盛況な小川だ。誰かが走る度に水面が光を反射して、風まできらきらと色づいて見えた。
「いいな……気持ち良さそう」
「今くらいしか川遊びなんて出来ないからな」

首肯をしながらもフレイの目線はずっと跳ねる水に向けられている。やがて、一回だけゆっくりとまばたきしたフレイは仰向けに寝転がっていた姿勢から勢いよく体を起こした。決意したようにキリリと鋭い眼差しを湛えて、放り投げていた靴を履き直す横顔にまだ体を横たえたままのウィンターは覗き込むように呼びかける。
「……フレイさん?」
「私も水遊びに行ってくる!」
「あ、ちょっと待って!」

常人より素早いはずのウィンターの手が伸びるより前にフレイは羽織っていたシャツをウィンターの上に脱ぎ捨てて、文字通り飛び出していった。川に向かって駆けていくフレイを呆然と見ていたウィンターは、やがて沸き上がるまま声を上げて笑う。そして所在なさげにしているシャツを軽く畳んでおき、手招きしている幸いの方へ自分も身を起こして歩き出した。
「ウィンター、冷たくて気持ち良いよ」
「あまり深みに行くと危ないぞ」

ウィンターの心配も他所に先に川に足をつけていたフレイは心底楽しそうに水と戯れている。小魚が足の間を通り抜ける度にくすくすと笑みを漏らす姿には、落ち着きと冷静さで出来ているように感じる普段のフレイの面影はなく、ただ一人の無邪気な子どものようにウィンターは思えた。

靴を脱いだウィンターも水の中に足を差し入れると、少し汗ばむ時分には丁度良い水温だと感じられた。丸い小石が多く転びかねない、とウィンターがフレイの手を取ると一緒に遊ぶことを了承したのだと認識したのか、フレイは一歩ずつ深みの方へと歩みを進めていく。
「フレイ、ズボンの裾が濡れる」
「冷たいから大丈夫だよ。ふふ、意外と深いね」
「危ないからゆっくり、ゆっくり」
「分かってる。見て、膝まで浸けちゃったね」

それなりに岸辺から離れたところでやっと歩みを止めたフレイは空いている方の手で水をさわってみたり、水を軽く蹴ってウィンターにかけてみたり。何がそんなに楽しい気分にさせるのか自身でも分からないまま、フレイはきっとこの季節は今日限りの自由を満喫していた。

ふと繋いだ手の先を見遣るとウィンターは何か思案しているような表情でフレイを見ている。ウィンターが解決しないことを考える時、眉間に皺を寄せる癖をフレイはよく知っていた。
「水は苦手だった?」
「いや、あなたが楽しそうで良かったと思って」

問いに答えたウィンターはそうっとフレイの手を離して少し距離を取る。そして、おもむろに両手を使いフレイ向かって水飛沫を飛ばした。
「わっ!」
「遊びは本気じゃないと楽しくないから、な!」

驚いて逃げていたフレイも応戦し始めて、水をかけ合う遊びが幕を開けた。子どもたちに負けず劣らずきゃあきゃあと笑って駆けて、大人たちの本気の遊びが二人を水浸しにするのにそう時間がかからなかった。

くしゃみが一つ響く。フレイが鼻をすする姿を見てウィンターはフレイの手を改めて取った。
「……もうちょっと遊びたいな」
「いくら暑いからって冷やしたらよくないだろう。明日もあるんだから」

いくら渋っても頑ななウィンターに引っ張られてフレイは岸に上がる。二人は水溜りを作りながら草池を歩き、随分と久し振りに感じる木陰に帰ってきた。心地良かった風は今の二人にとって少しよそよそしさを感じさせる。

ズボンの裾どころかほぼ全身ずぶ濡れになったまま敷物に座ろうとするフレイを止めて、ウィンターは一応の備えで持ってきていたタオルにフレイを包み込んだ。水が滴っている髪から拭いていると、合間から顔を覗かせるフレイの頬は楽しげに赤らんでいる。
「……珍しくはしゃいでいたな」
「うん。君も楽しかったでしょう?」
「……まあ……川遊びなんていつ以来か分からないし、楽しかったが……」
「じゃあ、また来よう。次は遠出して海に行っても良い」

くふくふと笑いを漏らすフレイにウィンターの手が止まる。次の陽光の季節も一緒にいるのが当たり前なのだという気持ちにふれ、
「……ウィンター? うわっ」

覗き込もうとするフレイの視界をタオルで埋めるようにウィンターはタオルでもみくちゃにフレイの髪を拭き上げる。そして、かんたんに服を絞った後に脱ぎ捨てられてしまったシャツとタオルとをフレイに着せてウィンターはやっと満足そうに頷いた。
「寒くないか?」
「君のお陰でね」
「着替えは流石にないから帰って湯を沸かそう」

そう言って、ウィンターは空を見上げる。沈まない太陽が傾き始めていた。周囲を見渡すと確かにすでに疎らになっていて、ほとんどが帰り仕度を始めている。
「楽しかったね」

まだ少し惜しむように、しかし迫っている出立の時間を思ってフレイはウィンターに言葉をかける。ウィンターから見ると、逆光の中にいるせいでフレイの表情は見えなかった。ついさっきまで川から上がりたくないと駄々をこねていたのに、とウィンターはくすりと笑ってフレイの手を取った。
「帰ろうか」

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