day013_懐かしい記録
こぽり、と火にかけたミルクが沸騰間近を知らせる気泡を上げている。繰り返し沸き上がる点を眺めながら今日という一日を想う。外は何年かに一度の快晴だというのに、お屋敷の中はまるで嵐のようだった。
前庭で行き倒れていた赤い塊、改め若者は熱が伝わらない手でふれても分かるほど冷えきっていて、自分の中に備わっている回路が瞬時に危険を訴える。その人が一体何者なのか、何処から来たのかも分からない。しかし、旦那様の指示を仰ぐまでもなく、私はその人を抱えて風呂場に駆け込んだ。
ありったけのお湯を滝のようにかけて凍傷を和らげ、やっと一段落してからはお嬢様のお部屋にお通しして休んでいただいている。朝の内に調達していた薪が早速役に立つなんて、本当に運が良かった。
私が旦那様なら大きく溜め息をついていただろう瞬間、一際大きな気泡がミルクの海で弾けた。そろそろ良い具合にあたたまったミルクを鍋からマグカップに移そうと戸棚に手を伸ばすと、不意にお嬢様との会話が耳元で反芻される。寒い夜、疲れた時、そして嬉しいことがあった時はあたたかいミルクにたっぷりの蜂蜜を入れるものだ、と。
一瞬止まった手を食器棚から戸棚へと辿らせ、お嬢様のお気に入りを再現する。立ち上る湯気にふんわりとやわらかい甘みが混じったことを確認して、私は厨房からお嬢様のお部屋へ向かった。
甘い香りを連れて、誰かのためにお部屋へ向かう。
それは何度と繰り返し、しかし何年と途絶えていた習慣だった。もし懐かしさというものがあるなら、この感覚はきっとそれに近いのだろう。
そんなことを考えている内にお嬢様のお部屋の扉が目の前に迫る。故障でないのに、ノックをしようとする手がほんの少しだけ揺れていた理由は分からない。
そして、ゆっくり扉を開くとベッドでお休みになっている方が身動ぎをされた。歩み寄ったベッド脇のチェストにトレーを置けば、お客様はようやくこちらを視線で捉えられる。眠たげな瞳がまたたく様子は遠い過去の風景が蘇ったようだった。だからだろう、何かを間違えた回路が古い言葉を再生させる。
「おはようございます、お嬢様」