day006_朝のお仕事
朝、目が覚めた瞬間に吐いた息が白いと気が滅入る、と旦那様は仰っていた。
旦那様のお屋敷が建っている山は周囲の山々どころか近隣の国を見渡しても並ぶものがない高さで、朝夕の寒さは人の住める環境とは思えないほどの冷え込みになってしまう。だから、私は旦那様が目を覚まされる前にお屋敷中の暖炉に火をくべて回り、書斎や食堂、そこに至る廊下まで十分にあったまった頃に朝のご挨拶にお伺いする。お屋敷に火を灯して回る間はいくら丈夫な私の体でも流石に節々が軋んでしまうし、もう何十、何百と繰り返してきた仕事ではあるが、私はこの時間を嫌ってはいない。むしろ、旦那様の良い一日の始まりに貢献出来るのなら、仕事とはいえ楽しいとさえ思えるのだ。
「おはようございます、旦那様」
寝室の扉をノックして中に声をかけても、まだお休みなのかお返事はない。きっと夜遅くまで研究をされていたのだろう、今朝も随分とお寝坊らしい。仕方がないので朝食の準備をするために厨房へと向かう。
旦那様はご自身のお言葉を借りれば大層な『人嫌いの偏屈者』らしく、このお屋敷の使用人は私しか雇われていない。私が来る少し前に全員暇を出してしまったのだ、と仰っていたが、私としてはお屋敷の全てをお任せいただけることが何より幸せだと感じるし、旦那様以外の誰かの順序に左右されずに仕事が出来ることは好都合だった。
旦那様がいらっしゃることのない厨房には火をつけていないので、扉を開けると顔の表面の温度がヒリリと下がったような気がした。今朝のメニューも旦那様の指示通り、スクランブルエッグとベーコン、トースト、それとコーヒーだ。毎朝のことなので準備の手際も随分良くなって、ものの数分で朝食のトレーを片手に旦那様の寝室へ戻ることが出来た。
「旦那様、朝食はいかがされますか?」
ノックをしても、声をかけても、旦那様からのお返事はなかった。かなり深く寝入っていらっしゃるのか、旦那様はお顔を見せてくださらないようだ。このままだと冷めてしまうが私は食べることが出来ないので、今朝の朝食もどうしようもなくなってしまった。
私は旦那様のお許しなしにお部屋に入ることが出来ない。だから、無理矢理カーテンを開けて陽の光を旦那様のお部屋に入れてあげることも、シーツで丸まっている旦那様のお体を揺り起して差し上げることも出来ない。
旦那様がお部屋に篭られてから、今日で二十三年五ヶ月と四日になる。明日にはきっと『下手な』笑顔を見せてくださるだろうか。