day009_思い出の香り

季節外れの長雨が去った後、代わりに訪れたのは肌寒ささえ感じる風と甘い花の香り、そして高く澄んだ空だった。

今日という今日は溜まりに溜まった洗濯物をやっつけ、部屋の空気を入れ替えるに相応しい、絵に描いたような秋晴れの日だ。こんな良い日和の朝をシンさんと迎えられないのは、仕事とはいえ少しばかり残念な気持ちになる。その分、帰ってきたら苦手な外出で疲弊しているだろう同居人を労ろうと決めていた。

まずはその第一弾、新しい洗剤で洗濯をしよう。いつものメーカーのものが品切れしていて代わりに手に取ったものだったが、汚れ落ちも良ければ無駄な香りもなくてなかなかの当たりを引いた、と私は一人ほくそ笑んだ。

洗濯物干しを普段より手早く終えて振り返る。タオルやシャツが並んで風にそよいでいるベランダは、なんて穏やかで幸せな風景なのだろう。

さあ、帰ってくる前にあといくつかこなしておきたい家事がある。洗濯カゴを持ち直して、私はベランダから部屋に戻った。

すると、ガチャガチャと鍵が回る音が部屋に届き、程なくくたびれた様子のシンさんがリビングに姿を現した。
「ただいま」
「おかえりなさい、シンさん。コーヒーあるよ」
「ありがとう……ああ、洗濯もしてくれたのか。助かる」

お互い様、と手をひらひら振って見せれば疲れは色濃いもののシンさんの表情が和らぐ。やっぱりシンさんは穏やかな顔が一番だ、と重たそうに足を引きずってこちらに近付いてくる彼を見ていた。

だが風が吹き込んだ瞬間、シンさんはピタリと足を止める。どうかしたのか、と表情を伺えば穏やかさは何処かへ去り、頬が固く強張っていくところだった。
「……みつるさん、洗剤変えた?」
「え? ああ、いつものがなかったから。なかなか良い感じだからリピートしようかなって」
「……ごめん、俺この洗剤駄目なんだ」
「え、そうだったの」

袖で口元を覆う彼の手は必死に平静を保とうと、日常を手繰り寄せている。自分が身に着けている服越しに深呼吸をするほど、普段の彼からは想像出来ないほど狼狽えているのがよく分かった。
「本当にごめん、今すぐ洗剤買ってくるから残りも御免してくれないか」
「そんなに? あ、ちょっと、シンさん!」

理由を問うより前にシンさんは白い顔をさらに白くして、元来た道を早足で戻って出ていってしまった。特に聞いたことはなかったが、アレルギーか何かだったのか。不可抗力とはいえ、何にせよ疲れているところに悪いことをしてしまった。

限界近くまで疲れて帰ってくるだろう彼のために、お茶でも淹れて待っていよう。私はキッチンの戸棚の奥から少し香りの強い──以前彼が好きだと言っていた、茶葉を取り出した。

Novel index