day014_私の村のお医者様

読みかけの本のページが風にあおられる音でハッと気付く。いつの間にかうたた寝をしてしまっていたようだ。村の裏手にある丘は滅多に人が来ないから静かで、今日みたいなぽかぽか陽気の日は本のページをまくる指も亀のように遅くなってしまう。

そのご機嫌な太陽を見上げれば、そろそろ約束の時間だと言うことを教えてくれる。箔押しという都の上等な技術で彩られた表紙の本を大切に抱えて、エプロンとスカートの裾についた土を払ってから村の方へ続く道を辿った。

目的地へ一直線に進む道すがら、仲良しの猫たちが足に擦り寄ってくる。普段はこちらから声をかけてもツンとして一鳴きの愛想すら振り撒いてくれないのに、今日はどうした風の吹き回しか、歩きにくいくらい足にまとわりついてくる。
「後で遊んであげるから。今から先生と約束なのよ」

にゃあにゃあ、ぴゃあぴゃあ。鳴き続ける猫たちを従えて村を歩けば、こんな医者すらいなかった小さな村でなくても悪目立ちしてしまう。ニヤニヤ笑いを向けられるのも、微笑ましげに視線を送られるのも、羨ましそうに行列に加わられるのもしばらくは止まないのだろうと、これから先の居心地の悪さを思って思わず深いふかい溜め息がこぼれた。

猫と小さな子どもたちの行列の終着点、私たちの村で唯一のお医者様、ドゥ先生の診療所にようやく到着する。いつもと同じ道を同じ速度で来たはずなのにとんでもなく疲れた。

きっともうこの騒ぎには気付いているだろうけど、レディの嗜みとしてきっちりと診療所のドアをノックする。しかし、いつもノックと同時くらいに開く扉は開かず、中も静まり返っている。外は猫たちの鳴き声で喧しいくらいだというのに。
「先生? 入りますよ?」

もしもが怖くて、お行儀が悪いことは分かっているけれど、先生のお許しが出る前に扉を押し開ける。ギッと扉が軋む音とほぼ同時に、子どもたちが駆け出す足音と離れていく猫の鳴き声が聞こえた。
「先生、いらっしゃいますか?」

一歩踏み込んだ診療所の中はまるで別の空間に迷い込んだような、異様な空気で充満していた。たとえるなら、風のない夜の海。ひっそりとしていて、静かで暗い、自分と夜の境界が融けてしまうような。

一筋の流れ星が光るように、本の表紙が一瞬だけ反射して室内に佇む長身を照らす。先生、とかけようとした声は音にはならず口の中でわだかまった。

Novel index