day015_私の村のお医者様02
「……やあ、いらっしゃい。ごめんよ、少し散らかしてしまって」
私の息を継ぐように、先生と思しき影が人の言葉を語る。
先生は、ジョン・ドゥ先生は菫色の瞳と黒いきれいな髪が素敵で、知性にあふれている温厚な青年だった。でも目の前にいる影は、先生と同じ色の瞳と毛並みを持つ梟にしか見えなかった。
逃げなければ。
頭では分かっていても、体が全く動かない。カチカチと鳴っているのは私の震えか、それとも梟の嘴の音なのかすら分からない。混乱を知ってか知らずか、それとも単なる偶然なのか、背後で扉が閉まる気配に次いで猫たちがガリガリと扉を掻く音が響く。
もう逃げられない。
「猫たちが騒いでいたのは君のためか……そうか……」
固まったまま動けない私を尻目に梟はこちらに目もくれず思慮を重ねている様子だった。少しかさついてはいるがその声も確かに先生のものだ。
「うん、ずっと言い出そうとしていたのだけど、今決めた」
くるり、と梟らしく首を反転させて人の言葉を話すそれはようやく私を見た。大好きな菫色の瞳。一度まばたきをすれば梟の姿はなくなり、人の形をした先生が目の前にいた。
これは夢や幻で、まだ私は丘でうたた寝をしているのではないか。そんな期待は初めてふれられた、先生の指先の冷たさに掻き消されてしまう。
「ルー。君を弟子にしよう。この世の全てを教えてあげる。君にはそれを知るに値する知性がある」
頬を伝う指先は耳の側からやがて唇の横へ。まるでほしい言葉を引き出そうと誘うように、ゆっくりと。
「さあ、問うてご覧。君の知りたい世界を与えよう」
乞われるまま吹き出す疑問、好奇心、悪い予感にも希望にも思えるような、そんな何かを舌に載せようと抱えた本を握り直す。ああ、口の中はカラカラだ。
「……先生は、誰なの……?」
「それが初めの問だね、良い子だ」
心底愛しいと言わんばかりに、それこそ恋人のようにうっとりと菫色が色づく。先生はこんな眼差しを向ける人だっただろうか。ゆるやかに弧を描く唇が薄く開かれる、その一瞬からも目が離せない。
「名は本質、仮の名を執っている時はそれなりの力しか発揮出来ないものだ」
あんなに喧しかった猫たちの声すら聞こえないほど、今、世界には私たちしかいないと錯覚するほど、先生の声しか聞こえない。
「私のことはソラス、と呼んでおくれ。我が弟子よ」