day022_東の若君
弱き者はいつの世も時代の波、あるいは強き者の理に押し流され、利用される。戦乱の世の小国に、殊に領主の子に生まれれば人の命であっても道具となんら変わらない。我が身は──嫡子でもない男子は、今、強国への従属の証として引き渡されようとしている。
「開門します」
私を連れてきた男がここまでに潜ってきたどの扉よりも豪奢なそれを押し開く。その先には真一文字に引き結んだ大人たちが果てしなく長い廊下の両脇に列をなして、扉が開かれる時を待っていた。色とりどりの宮廷式の装束が並ぶ様はまるで花園のようで、しかし私にはすべて毒花に思えて仕方がない。伏せた面で表情は見えずとも噴き出す悪意が肌を刺してくる。もっとも、数世代に渡って虎視眈々と狙い続けてきた王座に近付く者が増えるのだから、それも無理からぬことだ。
そう、この先は私を獲り殺そうとする者たちの牙城。足を踏み入れれば最期、愛しい我が祖国へ還ることは出来ない。早鐘のように打ち続ける心の臓を鎮めようと息を整えようにも、混じり合いむせかえるような匂いに成り果てた香がそれすら許さない。最早、居住まいを正すことすら叶わないとは。
「お入りください」
ふ、と息を吐き、私は伏魔殿に一歩踏み出す。我が主がおわす、この国の政の中央へ。
サリサリ、と下ろしたての足袋が踏み出す度に鳴る。まるでこれまで祖国で培ってきたすべての思い出を踏み壊すような、我が身の何かが崩れ去っていくような美しい音。この廊下を抜け、主にお目通りする頃には私は一体何者になっているのだろう。
「どうぞ」
すっかりすべて剥がれ落ちた心地に成り果てた頃、大きな広間の真ん中、王座の真正面に置かれた席に腰を下ろすように男に示される。
もし主が私を気に入らねば、即ちそれは祖国の滅びを意味する。気難しい方だと聞くその方の機嫌を損ねれば、と思えば胃袋が押し上げられた。しかし、恐れていても仕様がない。なるようにしかならない今、もがいても意味はない。お出ましを待つ間も面を下げ、ただただ座して待つ。
不意にザラリ、と床を擦る音が一つ聞こえた。それは真っ直ぐ進み、踊るような足取りのまま王座に収まる。この人が、そうなのだ。
「遠路遥々、苦労をかけた。面を上げよ」
声は随分とやわらかく、噂に聞く敵国の侵攻を一人で討ち滅した武者が目の前にいるとは信じ難い。恐るおそる顔を上げれば、ゆったりとした衣を纏い、美しい太刀を携えた方がこちらに気怠げな視線を向けておられた。
「折角都に嫁いできたのだ、ここを第二の故郷と思い、好きに過ごすが良い。まあ、都はしきたりが多くて敵わんだろうが、じきに慣れてくれ」
紡がれる言葉一つ一つ、視線の動き、指先の所作までこの世のものとは思えない。まるで天女様のような美しい方が、我が主となる人。これから私はこの方に仕え、然るべき時に死する。そのために── 「して、若君はこれをご存知かな?」
ふわりとやわらかな香が薫ったかと思えば、目と鼻の先、呼吸すればふれてしまうほどの近くに天女様が近寄られていた。思わず声を上げそうになるのを何とか飲み込み、差し出された手のひらに視線を落とす。白い雪のような手にはこの場に似つかわしくないコロリとした駒が転がっていた。
「すごろくの駒……?」
「そうだ。どれ、私と一戦興じようではないか」
「!? そ、んな畏れ多いことにございます……!」
「畏まらずとも佳い。私からの歓迎の意と心得よ」
こんなことは聞いていない。お目通りが済めばすぐに官の役を全うせよと聞かされていたはずだった。だから、ひどく愉しげに駒と盤とを用意させているお姿も、疾く用意せよとのお言葉にただ従う間も状況を理解出来るはずもなく、あれよあれよと流されるまま駒を持たされてしまっていた。
「改めて、我が都へよく来た。東の若君よ」
涼やかな目元がひそりと細められる。美しく、圧倒的な強さを湛えた眼射しに誰に言われるでも義務感でもなく、私はただ自然に頭垂れていた。
この方が我が主だと、流されてきた身がようよう岸に行き着いたのだ。