day025_夏の冒険譚へ
ススキでも背高草でもない植物が海原のようにさざめいている。その真っ只中を泳ぐように歩き進んでいくのは、たとえ幼い弟の手を引いていなかったとしても少々骨が折れる仕事だった。きっと普段の私たちならすぐに音を上げて、空調の効いた部屋へ逃げ帰っていたことだろう。だが、ただただ純粋な好奇心が足を止めてくれない。それは根性なしの弟も同じだったのだろう。きっとこの先には何かとてつもないものが待っている、と確信めいた期待が私たち兄弟の背を押していた。
サクサクと小気味よい音が歩調を速める視界いっぱいの草原は唐突に終わりを迎えてしまう。代わりに眼前に現れたのは果ての見えない砂漠だった。まるで魔法のような急変化に思わず弟と顔を見合わせる。本物か、と疑いながら砂に手をつけるとほのかにあたたかい。どうやら本物の砂漠が唐突に現れたらしい。
熱気で揺らめく金色の景色の中、なにより目を引いたのは、砂の川中に脈絡なく佇む庭つきの小屋だ。周りは砂に浸されているというのに小屋の周りだけ青々とした緑が茂り、小さな池もある。以前読んだ本に砂漠にはオアシスという水場があると書いてあったが、あの小屋がそうなのだろうか。遠目で見ているだけでは我慢出来なくなったのは弟も同じらしい。早く行こう、と繋いだままの手を引っ張って催促してきた。弟の成長が嬉しくて、草原の青一色から砂の黄金郷へと私たちは足を踏み入れる。
時折砂の流れに足を取られながらもオアシスに辿り着いた頃には、二人揃って肩で息をしていた。慣れない砂場も照りつける太陽も、私たちを汗みずくにするに十分な険しさだった。水場の近くは涼しげな風が吹いているだろう、そこで少し休ませてもらおう。私たちには家に帰るという旅も待ち受けているのだから。訪問者を迎えるように幹を伸ばす南国の木のアーチを潜ると、ここまでの熱気が嘘のように涼風が私たちの顔にぶつかってくる。目を開けていられないくらいの強風で顔を護るのが精一杯だ。弟を護らなければいけない、と風に目を細めながら振り向くと、繋いだ手の先にはいつも昼寝に使っているタオルケットがはためいていた。
「起きたの? ああ、汗びっしょりになって」
やわらかい風と肌ざわりが額を伝う汗をぬぐっていく。まばたきをもう一度、もう二度繰り返して目を開くと、居間の天井が広がっていた。青い草原も、金色の砂漠もない。
「麦茶冷やしてあるから飲みなさいね」
お腹に載ったタオルケットをかけ直してくれた母が去っていく足元をぼんやり眺めながら、目蓋の裏に焼き付いた青と肌を撫でていった熱気を想った。