day030_悪魔の弟子
庭で採った薬草を薬研で擦り合わせる。出来た粉を小分けにして包み、対応する症状別にして棚にしまう。毎日やるように、と先生に言いつけられている課題も随分と慣れた。
たとえ金銭が尽きたとしても、知識があれば身を立てられる道筋を見出だせる。だから、ヒトは学び続けなければならないのだ。そう教えてくれた人は悪魔だったけれど、その言葉に偽りはないと思う。
医者のいない街に先生が住み着いて、知識を与えてくれるようになってから病気も死も少しだけ遠巻きに私たちを見つめる隣人になったのだ。薬草や作物の知識は心身の健康を維持し、星読みの知識は街を支える旅商たちの帰り路を護る。街の人々の家は少しずつだが確実に明るくなっていた。
「ルー、この薬湯は君が?」
街の恩人、ドゥ先生がひょっこりと顔を出す。丁度考えていた本人が現れるとは思っておらず、咄嗟に声が出なかった。とりあえず、一度頷いて肯定してみせる。
「素晴らしい!」
ぶわっと真っ黒の髪が羽ばたくように広がり、文字通り羽を散らばらせながら部屋の中にずんずんと入ってきた。あの羽はソラスという先生の本当の名前を知った後から見られるようになった先生の癖だ。今までは隠すためにかなり神経を使っていたらしい。
「わずか数ヶ月でこの精度まで高められるとは思っていなかった! やはり、君は勘が良いらしい」
「あの、先生……肩叩かれると痛いです」
「ふむ……やはり、田舎娘にしておくには惜しい……」
話が終わるまで逃さないとでも言うようにしっかり肩を鷲掴みにしたまま、先生は考え込んでしまう。嫌な予感がする。何か自分の中で結論がついたらしい、先生は大きな菫色の瞳をめいっぱい見開いてこちらを凝視してきた。嫌な予感しかしない。
「ルー、君はこの街、国……いや、世界を癒やしたいとは思わないかな?」
「な、にを……そんな無茶苦茶な!」
「無茶苦茶なものか。私を誰だと思っている?」
いきなりすぎる提案とも言えない先生の言葉に頭がくらくらしてきた。街どころか国だなんて、こんな片田舎の小娘に言うことではない。
「とはいえ、志のない弟子に無理はさせまい……いやあ、実に惜しい」
「……」
挑発だと分かっていた。あんなに力強く握っていた肩から手を離して、背中まで向けて。わざとらしく悲しそうな仕草を見せつけてくる悪魔が腹立たしい。
分かってはいたのだ。ここ最近の教育の賜物か、それとも生来の性格のためか、戦慄いていた唇は思わぬ口火を切るのだ。
「…………やってやりますよ」
ぐるん、と凄まじい勢いで振り向いた先生は満面の笑みだった。分かっていたのに腹立たしい。
「それでこそ、私が見込んだ弟子だ!」
私の両手を取った先生は不慣れな、あるいは少し古いステップを踏んで心底嬉しそうに羽を撒き散らす。部屋中に散らかる羽はそれ一つ一つに命が宿っているように、やわらかい光を帯びていた。
これは契約だ。先生の本当の名前を知ってしまった時とは比べ物にならないほど強く、恐らく死ぬまで千切れない契約。
この踊りが終わる頃には私はただの町娘ではない、悪魔の弟子に成り果てるのだろう。それがどうしようもなく、堪らなく楽しみで仕方がないのだ。