奥の王
人となりとはどんなに隠していようとも仕草や立てる音に出るものだ。
床に耳を当てている時間が殊に長い樹は自室の近くを通る足音を聞いて誰の訪いか、あるいはどんな人が来るのか当てる遊びを長年ひっそりと楽しんでいる。床を擦るような足音なら武官、軽くて跳ねるような音ならば女中、のしのしと響くものなら老中かあるいは機嫌が良くない者。一度足音が止まる頃には予想を立て、取次の者に話しかける声で答え合わせをする。大抵の場合予想は当たるもので、あまり人と接することが得意ではない樹にとって心の準備の時間でもあった。
強い風の音がする日。城内が俄に騒がしく、樹の近くを通る足音も浮足立っているような、常とは異なる響きがある。こういう日は何か特別なことがあるものだが、と樹はこの時期に年中行事があったか思い返すが、特にそういったものはなかったと記憶している。じわりと軋む節々を抑えつつ、文机に仕舞った手記を取り出そうと掛け布団を跳ね除けようとした時、まだ遠いが樹の部屋へ近づく音が聞こえた。
衣擦れとカチャカチャと金属がふれあう無骨な音、そして軽やかに大股で距離を取る音が一歩、また一歩。城内でこのような愉快な音を鳴らす人は樹の知る限りただ一人しかいない。文机に向けようとしていた体を直し、取次役に声をかけたその人──女人にしては低く、深みのある声音の主──が立ち入ってくる襖に視線を注ぐ。
「ただいま帰りました」
「おかえり、律」
すらり、と襖が開くと同時に踏み入ってきた武人に樹は抑えきれない笑みを向ける。生真面目な表情を貼り付けていたその人、律も樹の破顔に誘われるように相貌を崩した。
「帰る日は教えてほしいと言っていたのに。こんな格好ですまない」
「教えれば無理をして待っているでしょう」
携えた武器を脇に置き、体を起こそうとする樹の背を支える律は略式とはいえまだ武具もつけたままの状態だ。重い武装を外すより何より、遠征の間は離れていた伴侶の顔を見ることを優先したい心を感ぜられるこのひとときを樹は殊更慈しんでいた。
樹の側に腰を落ち着けた律は袖から小包を取り出す。布や手ぬぐいで幾重にも包まれた中から長い茎と葉のついた玉ねぎのような丸い植物がころりと顔を出した。
「土産です。あなたの庭に加えられますか?」
「これは……外洋の花の球根だな? ああ、きっと咲かせて見せよう」
「そう……では、次の佳い日和に共に庭へ行きましょう」
律は一流の庭師でもある樹の言に薄く笑むと、土を寝所に落とさないようにまた包み直して袖の中に戻してしまった。樹に渡してしまうと観察だ世話だと落ち着かないことをよくよく知っているのだ。
「ほら、遠征で疲れただろう。湯を浴びておいで」
「……面倒な」
「律」
恐らく城に戻るまで兜を被っていたのだろう、樹の指が撫ぜた律の明るい黒髪は少しばかりしっとりとしていた。そのまま手の甲で細かい傷が絶えない頬をなぞると、観念したというように律は重い腰を上げる。
「明日からは執務に戻ります」
「ありがとう。土産話は夕餉の時に聞かせてもらえるか?」
樹の問いに律は視線だけで頷いて見せ、来た時と同じように部屋を滑り出ていく。徐々に遠ざかる威勢の良い北風のような足音を床につけた手のひらで感じながら、樹は特別な今日に息をついた。