つもる、ほどける
体がどこか深いところへ落ちる心地がして、ウィンターはぱちりと目を覚ます。じっとりと首元が汗で湿っている嫌な感覚を拭った手で広い寝台を探ると肌ざわりの良い綿の生地の中で丸まっているあたたかい塊にぶつかった。
指先に感じる他人の呼吸で数ヶ月振りに自宅の寝具で眠ったことを実感し、ウィンターは薄く息を整えると静かに体を起こす。勝手に寝台から抜け出すと後から休める時に休めと言われることを分かっていながら、野営に慣れた体はひとりでにふかふかの布団から滑り降りていた。部屋から出る前に足だけ見えている丸い塊に掛布団を乗せて、ウィンターは炊事場に足を向けた。
さりさり、床を鳴らす薄い家履きを足に引っ掛けてまだ薄暗い廊下を歩くと冷気が足首を撫でていき、思わず鳥肌が立つ。戦場を住処として常から鍛錬を欠かさないウィンターは無駄なくついた筋肉で寒さには多少強い自覚があったが、王都の冷えはまた種類が違うらしい。今朝は湯を沸かしてあたたかい茶でも淹れよう、と朝食の算段を頭の中でつけ始める。
いつも明かりがついていて、フレイが本を読みながら火の番をしている炊事場も薄暗くて静かだ。入口の対面にある勝手口から出てすぐの井戸もまだ人っ子一人おらず、いつもなら矢継ぎ早に声をかけられるためになかなか帰ってこられない水汲みもすぐに終えることが出来た。水をたっぷり入れた薬缶を炉に乗せ、フレイ手製の発火符で火を起こす。質が良い呪符と乾燥した薪のお陰ですぐ大きく育った火に頬をあたためられて、ウィンターは満足げに頷く。
湯が沸くまで茶葉と食事の準備をしようと背後にある戸棚を振り返ると、入口にもたれかかっている人影がウィンターを刺すような視線で見つめていた。
「おはよう、フレイ。私の止まり木」
「……おはようございます」
明らかに眉間の皺が深くなっていることに気付いていて、ウィンターは太陽がもう昇ったのかと思うほど明るい挨拶をフレイに朝の挨拶を向ける。一応、いつもより低い声音ではあるものの挨拶を返したフレイは一瞬、ウィンターを見遣ってから少し迷う素振りをして、しかし背後からそうっと抱きついた。余人よりも少し筋肉質な背中にぴったりくっついたまま動かないフレイへ肩越しにウィンターが手を伸ばしてまだ寝癖の残る髪を撫ぜる。
「寒い?」
背中越しに首を横に振る振動を感じながら、ウィンターは珍しい様子のフレイが次の言葉を発するのを待つ。朝が弱いフレイが夜明け前に起きていること自体が稀で、ともすれば背負って寝所へ戻ることになるかもしれないとウィンターは考えていた。
「……朝」
ややあってフレイが細い、だが確かにウィンターには聞こえる声で囁く。
「朝、起きた時に君がいないことに不慣れでいさせて」
そう言い放った後、フレイはまたウィンターの背中に顔を埋める姿勢に落ち着いてしまう。しかし言われた側のウィンターはぴたりと動けなくなってしまった。たとえ背後にフレイがくっついていなかったとしても微動だに出来ないだろう。
フレイは王都、ウィンターは戦場。それぞれの場所で役割を果たす、互いの姿に憧れているからこそ遠く離れた場所にいる日常を当たり前のものにしている。むしろ側にいられる時間が貴重なのだとウィンターは考えていた。だが、フレイは違う。
その一撃は火にかけていた薬缶が限界を訴え始めても、ウィンターの心臓は跳ね回ったまま、体は動けないままだ。
「……薬缶、吹きこぼれていますよ」
「あっ」
流石に気になったフレイが手近な脇腹をつついて、やっとウィンターは動き出し、背中にフレイをくっつけたまま手際よくお茶の準備を整えた。跳ね回る心臓をなんとか押さえつけようと躍起になったからか、どっと疲れた様子のウィンターに少し気を良くしたフレイは背中から離れて茶器を乗せた盆を攫う。
「おはよう、ウィンター。私の淡雪」
くつくつ、思惑通りにいったフレイは悪戯っぽく笑って、依然として耳を赤くしているウィンターの手を引いて炊事場を出ていく。まだ夜明けまで時間があった。
二人は寝所で身を寄せ、茶器から上がる湯気を楽しみながらゆっくりと朝を待つ。